私はどちらかでいうと考えること、意見を述べることが苦手です。
学生時代はディスカッションよりも暗記したり、皆で協力して成し遂げるということの方が多く、自分の意見を述べる機会があまりありませんでした。そのような環境だったこともあり、社会人になってから意見を述べること、考えることに対して大変苦労しました。
意見を述べたり、人に頼らず自分で考えるということがとにかく苦手で、人の意見に左右されたり、顔色を見て判断していたこともありました。ただ、それでは成長できないということを自分自身が一番感じていたのも事実です。
今回は、この考え続けるということの大切さについて書いてみたいと思います。
考え続ける人とそうでない人の違い
私自身の感覚ですが、物事の流れや状況をよくみてから判断している人と突発的に判断している人とでは、大きく異なっているように感じます。
例えば誰かが意見を出して、「私もそれがいいと思います」というようにどんな時でも同意している人がいれば「本当に考えた?それがあなたの意見?」ってなりますよね。その意見が合っている、間違っているは別として、自分の意見がいえない、考えられないことに対して不信感が募ってしまいます。
逆に、考え続けられる人とはどういう人でしょうか?前職でどんな時でも新しいアイデアを出し続けている人がいました。その人を例に出してみます。
その人はとにかく日々のルーティンや業務の進め方に対して「こうしたほうがいいのではないか?」という意見を常に出していました。
内容は多岐に渡りますが、データの保管方法や業務連絡の方法など、すでにルーティン化されほかの人が疑問視していない内容から始まり、なぜこの業務をおこなうのか、クライアントの要望は何かという点までとにかく疑問を投げかけていました。
決して、何か斬新で革新的なアイデアを出そうとしているわけではありません。
日々の積み重ねとして目の前の状況や流れを分析し、会社の成長を止めないためには自分に何ができるのか考察し、アイデアを出し続けていたのです。
物事に疑問をもつ
思考力の高い人はよく「物事に疑問をもちなさい、論理的に考えなさい」といいます。ですが正直、疑問をもちなさいといわれても、私にはピンときませんでした。
むしろ、ルーティン化され当たり前のこと=常識的なことと捉えてしまっているため、意見を述べるどころか疑問に思うこともできませんでした。
また、意見をいうことによって「もし間違っていたらどうしよう?」という臆病な考えが浮かんでしまいます。
上記の状況を打破するために私自身が大切だと感じたことは、
- 知らないことはすぐ調べる(知見がある人に聞く)
- 間違いを恥ずかしいと思わない
- 常識だけに捉われない
でした。何事も当たり前のこと=常識的なこと、ルーティン化されたものと捉えているようでは、疑問は生まれません。
「なぜデータはすべてワード管理なのか?」「日報を提出する意味は?」などというように、指示された内容をそのまま鵜のみにせず、なぜなのかを追求することが考え続けることに繋がると感じました。
考え続けることをルーティン化しよう
人の意見に頼らず、成長していくためには日々考え続ける環境を作らなければいけません。
私は、子どもが保育園に通っている9:00~15:00で在宅勤務しているので、 子どもが帰ってきてEテレを見てくれる時間帯を、1日の仕事を振り返る時間としています。翌日の作業に向けて下記のようなことを、あらためて考えてみるのです。
- なぜ依頼されたのか(クライアントは何を求めているか、依頼の経緯など)
- なぜ時間がかかったのか
- なぜ間違えたのか(なぜ納品レベルが低かったのか)
- 人と比べず、自分ができることは何か
次々に自分の意見を出せる人と自分を比べてもしんどいだけです。
それよりも自分自身の特性を考え、何かできるのか、解決するためにはどうすべきかを考えていくべきです。
また、考えることをルーティン化するためには、負担にならず続けていけるボリュームで疑問点をあげていくのも一つの方法です。
まとめ
物事に疑問をもち、考え続けることにどうしても苦手意識がある私です。
まだまだ考え続けることを鍛えている段階ですが、仕事もプライベートもなぜなのか?を追求するように心がけています。
「アイデアが浮かばない…」と投げだしたり諦めたりするのではなく、どんなことにもクエスチョンで投げかけ、私のように疑問をもつようにすることから始めてみてはいかがでしょうか?
疑問に感じたことがあれば誰かと議論したり、共有することで、物事を深く掘り下げ追求することができます。もし、間違っていたら誤りを訂正し、次につなげたらいいのです。
ぜひ、考える力をつけてくださいね。